誠実さ
いつ書いたか覚えてないけれど、「信頼感が全てだ。」と書いた。
物事の価値観であったり、人が人を動かす原動力であったり。
「人を動かす=社会・世界を動かす」可能性もあるわけで、やっぱりこの世の全てだと思う。
じゃあ、信頼感ってどうやって培われていくものなのだろう?
一つに”誠実さ”ってのがあると思う。
じゃあ”誠実さ”ってなんだ?
そこで、「例えば、みんなが誠実さを求めているものってなんだろうか…」と考えた時、政治(≒政府?)が浮かんだ。
正直、僕は政治ってものにあまり熱心な方ではないけれど、「しっかりして欲しいな…」とは多くの人と同じように想いを持っている。
で、政治にどうあって欲しいか。
結論からいうと、「ウソをつかない。」ということ。
『説明責任がどうのこうの~!』
『解釈がどうのこうの~!』
とか、なんか色々言われるじゃない?政治家の人達って。
よくわからんけど、紛らわしいことを言った言ってないの論争から始まって、最終的に、「ウソでした。ごめんなさい。」がよく見る政治の世界。
この「ウソでした。ごめんなさい。」が誠実さに欠け、信頼感を損なっていくのではないだろうか?
なら、これを言ってしまうシチュエーションにならなければいいわけだ。
それは上手くウソをつくという、ボロが出るか出ないかという手段を取るのではなく、根源から絶つ。
いろんなことを話すのが政治の場でしょう。
色んな想いが交錯して、一般市民の僕達に取っての悪法が提案される時もあるでしょう。
でも、その時に、「富裕層に向けての法案であって、一般市民向けではありませんでした。」と真向から言えばいい。例えばの話だけどね。あり得ない話だけどね。
ウソでないから、そこで一般市民は良い思いはしないけれど、「この人はこういう人なんだ。」とある種の確信を得る。
フワフワしているウソツキは良くも悪くも確信を得られない。
例えば、トランプさんも過激な発言大好きで、「めちゃくちゃ言ってるな…」と思うことが多々だけど、彼の言葉にウソを感じないから、「めちゃくちゃなこと言う人なんだな。」という確信を得るわけだ。
彼は支持者さえ納得させられたら、それでいいと思っているかもしれないね。
何のために〇〇をするか。
その「何のため」の中には、間違いなく多くの人がいて、彼らと信頼感を育むためには「ウソをつかない」ということ。
まだ書き足りないから、またどこかで続き書きます。
では、また次の木曜日に。