子どもは天災だ
当たり前の話だけど、人間は地球から生まれた生き物だ。
そして、生き物の中でも動物というカテゴリーに属している。
どうも僕たちは「人間」と「動物」と分けたがる性分を持っているけれど、根源的に僕たちは「動物」である。
じゃあ、人間ってなんなんだ?
僕たちは、社会に出る事や教育を受ける事で言語や文字といった、学問を学んでいく。
人間にしかなしえないことを学んでいく。
だからといって、〇〇を習得したから動物ではなく、人間になるということはなく、繰り返しになるが、根源的には動物のままだ。
僕達は学ぶことで、動物から人間になるのではない。
ただただ、人間らしくなっていくだけだ。
どれだけ年を食った、じいちゃん、ばあちゃんでもやっぱり「動物」という要素をゼロにすることは出来ない。
ただ人間らしくなるだけ。
逆に考えれば、生まれたばかりの赤ん坊ほど、動物の要素が強く、人間の要素が弱いと考えている。
「動物」。つまるところ、「自然」だ。
子ども達は「自然」と「人間」の狭間にいる状態ではなかろうか?
子ども達は人間の要素が強い大人達にとって、理解不能な行動を良く起こす。
自然なのだ。
なぜ太陽や地球が回っているのか。なぜ雨や雪が降るのか。なぜ地震起きるのか。
それと、同じ。自然なのだから。
この頃、そんな風に考えると、子ども達の行動をより寛容に受け入れられるようになった。
泣いたり、怒ったり、突然殴りかかってきたり、執拗に何かを求めたり。
これらは全て自然現象の一部だ。日々の天候と同じように目まぐるしく巡る。
ある意味、小さな地球だ。
僕は日々、小さな地球と対峙している。
そんな地球に対して、「晴れろ!」とか、「地震収まれ!」なんて言って何の意味があるのだろうか?と。
まぁ科学技術で地球をコントロールしようとする人間様だからこそ、そう思うのかもしれないけれど。
どんな災害でもそうだけれど、僕達に出来るのは”予防”と”備え”だ。
目の前の小さな地球が天災を起こさないようにするにはどうしたらいいか。
もし、天災が起きたとして、対峙する僕達に受け入れるだけの余裕のある心や時間といった、備えがあるだろうか?
もちろん、僕達も小さな地球。
同じように時には災害が起きることもあるし、火山が噴火することもあるだろう。
目の前の小さな地球だけでなく、自分に起こり得る天災に対しても備えが出来ているだろうか?
子どもは天才と天災のダブルミーニングでした。
では、また次の木曜日に。