些細な思いやりを積み重ねる

もう何度も書いているように、僕たちは毎日のように何かしらの人間関係に頭を抱え、行き詰まりを感じている。

でも、もしかすると、人間関係を円滑に進めるのは実はとってもシンプルなのかもしれない。

 

『相手が言ってもらいたいこと言い、やってもらいたいことやる。』

きっとただそれだけ。

 

何も小難しいことを考える必要はなく、これを淡々と日々繰り返すのみで自分の周りの人間関係は円滑に進む。

でも、それが出来ないんだよな。こんなにもシンプルなことなのに。

 

そもそもとして、相手の気持ちなんてわからないじゃないということがある。

その通り!相手の気持ちなんて、わかることなんてない。僕達はエスパーじゃない。

でもさ、ほんの少し感じることもあると思う。

『ここで、「ありがとう。」って言ったら相手は嬉しいだろうなぁ。』とか、

『ここで、相手の想いに寄り添ってあげたら、相手は気持ちがラクだろうなぁ。』とか。

きっと日々の生活の中で感じることがあるだろう。

でも、意外に僕達はこの些細な直感をないがしろにしていることが多い。

なぜなら、あまりにも些細な問題すぎるからだ。

 

些細な問題が故に、「こんなことに力を割いても大して変化がないなぁ~」と見過ごしてしまっているんじゃないだろうか?

「こんなことよりも、今目の前にあることをやってしまいたいなぁ~」と優先度を下げてしまっているんじゃないだろうか?

僕はまさにこれだ。

 

でも、「相手の心なんてわかりっこない!」と思っているからこそ、直感が教えてくれるこの些細な思いやりを活かす価値があるんじゃないか?とも思う。

確かに、大きな問題であればあるほど現状をひっくり返す大きな力にはなるだろう。

といっても、僕達にはそこまで相手の心の中の大きな問題をくみ取ることは出来ない。

しかし、直感が告げる、些細な問題は掴むことが出来る。

出来ないことを出来るようにするために力を割くよりも、今できることに力を割く方がよっぽど建設的なように思うのだ。

 

小さな小さな思いやりが、積もり積もれば大きな信頼となるかもしれない。

その小さな思いやりを実行するたびに、「ありがとう。」という照れがあったり、今やってる作業を中断する必要があったり、重い腰を上げる力が必要になってくる。

でも、こうやって小さな思いやりをすることに価値があると思え、習慣化していけば、わずらわしさもなくなるんじゃないだろうか?

とにもかくにも、僕達は些細な思いやりの積み重ねの中でしか信頼感を積み重ねることは出来ない。

些細な思いやりをするための壁を、なるたけ低く薄くすることを日々トレーニングすることが大切。

 

では、また次の木曜日に。