小地球

前回の記事で、子どもや人間のことを「小さな地球」と例えたのが、すごく胸に引っかかっていて、色々なことを考えるきっかけになった。

 

僕たちの体は100%地球で作られたものだ。

卵子精子が合体して、命の元が出来た。

その卵子精子の元もこの地球で生まれた生き物の物だ。

そして、出来た命は地球のものを食らって、どんどん体を大きくし、知恵を蓄えていく。

僕達の体は全て地球産で出来ている。

姿かたちが違うだけで、本当に小さな地球なわけだ。

 

こんなことを考え始めると、「地球環境問題」ってなに?って思えてくる。

どこかで、人間と自然、すなわち地球は別物だと思っているから、「”地球”環境問題」なんて名前をつけるのだろう。

事実、温暖化とか、異常気象とか、オゾン層が薄くなってるとか、色々あるけれど、地球の問題となっていることは何一つない。

問題となっているのは我々人類の生き方の話である。

そして、我々人類は小さな地球だ。

「地球環境問題」は「人類環境問題」なわけだ。

論点は、小さな地球である僕達がどう解決して生きていくかの話。

 

もっと拡大解釈すると、僕達は小さな地球であるわけだから、自然であるわけだから、人類の起こす数多の問題は、自然発生的に起きているに過ぎないとも考えられる。

例えば、二酸化炭素をたくさん排出することも、外の地域から生き物を持ち込んだりすることも、とんでもない化学兵器を作ることも、小さな地球がしていることと考えれば、どれだけ人間が起こした大問題であっても、「自然の理」だとも考えられる。

 

でも、「自然の理」で色んな問題が起きてしまうのは仕方ないにせよ、それをどう受け取るかは小さな地球ごとで異なる話。

前回書いたように、天災に対抗するには、備えて予防線を張っておくか、起きた後にどう対処するかのみだ。

地球に対して、天災に対して、不平不満をいくらぶつけても、地球は起こったことに対して省みることはないだろう。

 

そんなことを考ええて、全ての人が大いなる地球の一部なんだと思ったら、人間関係が少し楽になった。

ある意味、諦めなのかもしれないな。地球に逆らってどうなるんだっていう。

 

あなたは地球というものをどう考えているだろう?

ただ、僕達が生活しているだけの空間だろうか?

神のような存在だろうか?

なんにせよ、あなたの体は100%地球で構成されている。

 

では、また次の木曜日。