輪廻転生

また小地球からの気づきです。

 

僕達人間を含め、全ての生き物、有機物も無機物も地球上に存在するものは、全てが100%地球産だ。

そして、それらすべてが役割を失った時、すべてが地球に還っていく。

有機物であれば、それらは分解者に見えないサイズにまで分解され、土の養分となり、植物達がそれを糧に大きくなって、草丈が伸び、時には果実をつけ、消費者へと命が繋がれていく。

無機物も有機物に比べると時間はかかるかもしれないけれど、最終的に海へとたどり着き、潮の流れで削られて、一番最後にはプレートへと沈み込んでいって、地中奥深くに溜め込まれたり、時には地殻変動で顔を出して地上に戻ってくる。

全てのものが地球の中で生き死にを繰り返して、ぐるぐるぐるぐる循環し続けているわけだ。

 

だから、僕達人間も死んだら巡り巡って、何かに引き継がれていくはずなんだ。

人間の場合は文化圏によって遺体の処理方法が異なるから、それによっても変わってくるけど。

土葬なら野生動物と同じく、土に還って、養分として引き継がれていく。

日本のような、火葬であれば、身体は燃えつくされた果てに大気中にばらまかれ、様々な生き物の体に取り込まれていくのだろう。

 

これが延々と繰り返されているのが、この地球の形。

だから、僕達は1つの命と思っているかもしれないが、数えきれない生き物や物質の欠片の寄せ集めで構成されている。

詰まる所、地球から生まれた小地球達はやっぱりあくまでも地球の一部であって、究極的に考えれば”死”というものは存在しないのではないだろうか?と考えた。

 

でも、理屈として生き物には”死”があって、それらはすべての生き物に訪れる。

地球上にあるものに”死”がないと考えた時、この”死”という概念はなんなんだろうか?

僕は1つの幕が下りただけではないかと考えた。

例えば人間がAさんという人間が死んだとすれば、”Aさんの人間編”という章に幕が下りただけであって、逆を言えば、新たな章の幕が開けたに過ぎない。

それは”Aさんの空気編”かもしれないし、”Aさんのカマキリ編”なのかもしれない。

なんにせよ、新たな物語が”死”と同時に始まっている。

 

これがブッダの考える輪廻転生ってやつなんじゃないだろうか?と勝手に悟ったわけです。

僕達はみんな地球の一部。

地球から生まれて、地球に還っていく。

その人間編を僕は今演じているだけ。

そう考えると生きることがラクになった。

 

では、また次の木曜日。