「できる」と見るか、「できない」と見るか

人間は完璧を求める。

下手したら、自分のことを完璧だと思い込んでいる。

個人的には、この地球の頂点に立っていると勘違いしているが故に生じている、優越感ではないかと考えている。

この完璧主義があるゆえに、人は短所の粗探しが得意だ。

加えて、完璧な人間などいるわけはなく、地球上の全ての人間が等しく、不完全で、出来損ないで、何かしらが足りない。

だからこそ、みんな支え合う必要がある。

だけれども、それらを個人の短所と捉えて、他人の短所はもちろん、自分の短所もいくらでも見つけることが出来る。

 

短所探しは余りいいイメージではないが、それらを明確化することで、自分が何をすればいいのか見えてくるのは悪くはないように思う。

でも、そうなると自分を変えようとするエネルギーが少なからず必要で、疲れる場面が出てくる。

ならば、短所をそのまま長所に変えてしまった方がよりエネルギーが少なく済む。

視点の変換だ。

 

以前、「一つの遊びに注力出来ない子を注意散漫と考えるのでなく、様々なものを見る視点があると考える。」といったことを書いた。

まさにこれで、何か一方から見た短所は、別の視点から見ると長所になり得る事が多い。

実は、僕が就職活動をしている際に、とある企業の面接で、

「あなたの短所はなんですか?」と聞かれ、答えたところ、

「〇〇な視点で見れば、長所と言えるのではないでしょうか?」と言われたことがある。

今となっては、なんと答えたかは思い出せないけれども、こうやって切り返されたことが強烈なインパクトとして残っている。

 

怒りっぽい人は言い方を変えれば、感情を見せることの少ない日本社会において、数少ない怒りを表現できる人。

諦めが早い人は、見切りをつけるのが上手ない人。

と言った具合に、少し視点を変えれば僕達は輝けるものをすでに持っているのだ。

 

そもそも、「出来る」、「出来ない」と白黒つけることもまたおかしい。

視点を変えれば長所に転じるということは、場所が変えるだけでも長所に転じることは往々にあり得る。

ということは僕たちは白でも黒でもなく、”グレー”なのだ。

しかも、単一なグレーでなく、グラデーションのあるグレー。

暗いグレーもあれば、明るいグレーも僕達の中には混じっている。

加えて、赤や青や黄といった一際明るい色が組み合わさったが故に出来た、グレーもあるかもしれない。

輝ける場所を探そう。僕たちは原石を持っている。

 

では、また次の木曜日に。