信頼感がこの世の全て
最近、信頼感についてよく考える。
きっかけはどうすれば子ども達とコミュニケーションをスムーズに取ることが出来るか?と考えたこと。
怒ったり、命令したり、支配的なアプローチはあまり生産性がなく、真に言葉を心に届けることが出来ない。
それよりも大前提として、子ども達との間に信頼関係を構築した上で言葉を届ける方が、どう考えても有意義だと思ったわけだ。
でも、よくよく考えるとこれはもちろん子ども達に限った話でなく、全ての人に対して当てはまる。
例えば、とても画期的な商品や企画のアイデアを思い付いたとする。
そのアイデアに対してのプレゼンを製作し、発表して、支援者を募るというのが恐らく正攻法だ。
しかしだ、もっともスピーディーかつ強力なのが、「Aさんにはお世話になったから、支援してやろう。」と思れることじゃないかと思う。
これが信頼感が為せる技ではないかと。
Aさんが思いついたアイデアを支援するのでなく、Aさんに支援するという考え方。
もちろん、前述したプレゼンする方法を否定するわけではないけど、こういった信頼感があれば、プレゼンするという行程を省略することすら出来る。
他にも、僕達が買う製品などにも同じことが言える。
そりゃあ、その度に高機能なCPUが積まれたり、新しい機能が搭載されたりで売れるってのもあるんだろうけど、そんなもの度外視で「Appleが出すから間違いない。」と考えて手を伸ばす人が大半ではなかろうか?
これはAppleという企業に対しての信頼感。
食べ物屋さんも同じで、例え出店している場所が違っても同じチェーン店であれば、慣れ親しんだ同じ物を食べられる。これも信頼感であろう。
銀行にお金を預けたり、選挙で誰に票に入れるか考えたり、全てのことが信頼感に基づいて人は動いている。
「お金がこの世の全て。お金があれば、なんだって出来る。」
わかる。わかるけれども、そのお金だって信頼感が故に生まれているわけだ。
こんな言葉を吐く人間に信頼感なんてあるのか?なんて思ってしまうが、信頼感を元にお金が巡り巡っているのは間違いない。
詐欺師だって信頼されるよう言葉巧みに相手を騙してお金を得ているのだから、良くも悪くも信頼感なわけだ。
生きていく上で、信頼感を積み上げるのが何に置いても近道。
と言っても、そんな簡単に得られる話でもないんだけどね…
では、また次の木曜日に。