習慣が人を作る
元々、ルーティンってやつが好きで。
でも、なんで好きかはわからなくて。
好きといっても、そのルーティンが崩れると、狂いそうになるとかそういう類ではなかった。
最近、モーニングルーティンってやつをめっちゃ意識して取り組んでいる。
①起床
②歯磨き
③朝日記
④今日のタスクの確認
⑤筋トレ
⑥読書ノート作成
の流れ。
これをこなすためには、ギリギリまで寝ていたら全く出来ないから、早起きする必要があって、そのために5時前ぐらいにいつも起きてる。
色んな本にも書いてあって、僕自身納得したのは、僕たちの生活の中には幾多の”選択する場面”があって、僕達も選択出来る回数が日々決まっているというもの。
何かを決める、選ぶ、判断する、その他もろもろを頭の中で行える回数が1日ごとに決まっているという話。
もちろん、この回数には人それぞれの回数があって、選択する事柄によっても、その日の体調によってもこの回数は増減するし、トレーニング次第では増やすこともできる。
ただ、この選択する回数の限度を超えてしまうと、その日の活力は失われ、”疲れた”という状態に陥るという考え方。
僕はしっくりきた。
そこで、ルーティン、習慣に話を戻すと、ルーティンってのは色んなことをしているようで、選択する力を消費しない場面が多い。
例えば、歯磨きなんて、「右側から磨こうか…?左側から磨こうか…?」なんて考えていないと思う。
もう習慣づいていることだから、考えることもしない。体が覚えているような感覚。
だからこそ、「あぁしよう、こうしよう」がなく、頭を使わないで、選択する力を使わないで、色んなことに取り組めるってのは習慣の力であろう。
ただ、ルーティンを作ることだけでなく、新しく何かを始めることは労力が伴う。
そこを乗り越えるのが大変なんだよな。
僕自身は、自分を使った実験だと思って取り組んでいる。
例えば、朝日記なんかは、毎日書いていくから、毎日の積み重ねが可視化されるし、筋トレも体つきが変わっていく。
やっぱり成果がないとやる気に結びつけるのは難しい。
なんにせよ、僕たちは「変える」って考えるから、変えた後の成果を求めたりして、体が動かなくなることが多い。
「試す」程度なんだよな。試して試して、成果が見えてきた時には、もう自然と何かが変わっている。
「ちょっとやってみるかー」の積み重ねで人生が変わるかもしれない。
僕はそれをルーティンで実験中。
では、また次の木曜日に。