学ぶということ

2020年も終わりですな。

僕は今年、「寝る前に1ページでも1文字でもいいから本を読む」ということを習慣づけようと頑張りました。

その結果、1年で90冊近く読めた。

これまで年間1~2冊しか読んでなかった僕からしたら快挙。読書家の人は100冊とかザラなんだろうけど。

 

でも、これらの本はほぼほぼ電子書籍で読んでいて、それのおかげってのが大きい。

意味のわからない単語はその場で意味を調べることが出来て、「いいね!」って思った場所には、躊躇なく線を引ける。

読んだ後に、線を引いた場所を振り返ることが出来る。

最初は読書ノート的にしっかり要点をまとめていたりもしたけど、もうめんどくさくなって、線を引いた場所をメモるぐらいで留まっている。

まぁ、電子書籍はいいね!って話はこの辺で。

 

今年、たくさん本を読んで、「学ぶ」ということを再確認した。

何のために学ぶのか?

僕は『先人・賢人たちの知恵を借りて、自分の目の前の困難を乗り越えたり、よりよく生きるためのヒントにするために「学ぶ」のだ。』と考えた。

決して、知恵を仕入れることで誰かと比較して自分が優れていると悦に浸ったり、どちらが優れているかで点数をつけたりするものでない。

あくまで、自分の為だ。対人関係のコミュニケーションスキルの本を読んだとしても、対する誰かのためでなくて、「誰かに対する自分のため」だ。

 

そもそも、今同じような境遇に生きていても、生まれも違えば、生活環境も異なり人間を、同じ土台で比べることが間違い。

もちろん、得意な分野も異なれば、苦手な分野も異なる。

それを全部一緒くたに評価できるわけがない。

 

比べられるのは、昔の自分と今の自分だけ。

学んだ知恵で昔の自分と何が変わったか、何が出来るようになったか。

しかも、知恵というものは盗まれたり、壊れたり、無くなったりすることがない。

多くの人がお金が全てと必死にお金を集めている。

そのお金で良いものを買って、その物が自分の力であると勘違いしている。

例えば、スマホがすごいだけであって、あなたがすごいわけではない。

最近はそれが見直されて、お金を物に使うのでなく、体験に使おうという流れも出来てきた。

体験も思い出も、知恵を同じく、その人だけに価値をもたらすものだ。

 

学ぶってそういうことだと思う。

あくまで自分の為。それが故に、主体的に掴みにいくものだろう。

誰かに「学べ。」と言われたり、誰かと比較するために行うものではない。

 

では、また来年。