夢中になれる力を、努力と呼ぼう
「成功している人に努力をしていない人はいない。」という。
「努力は誰でも出来るものではなく、努力は才能である。」という。
「1万時間すれば、どんなものでも一流になれる。」という。
以前にも書いたかもしれないけれど、繰り返したり継続することが何よりも大事だと思うのです。
そして、繰り返せる力、継続出来る力こそが、「努力」ってやつなんじゃないかと思う。
ただ、この「努力」の源泉が『好きだからやっている』なのか、『やらなければならない』なのかで全然話は変わってくる。
しかし、成功した人の多くは『好きだからやっている』の部類に入っていることが多いようにも思う。
これはまさに「夢中になってやっている」と言えないだろうか?
だから、僕達に必要なのは「夢中になってやり込める経験」なのだと思う。
夢中になる対象はなんだっていい。泥遊びだって、虫取りだって、なんだっていい。
夢中になっている内容よりも、夢中になっている現状に価値を置く。
夢中になる習慣だったり、経験が身に付くと、また別の事柄を見つけた時に夢中になるハードルが下がる。
逆に言えば、大人になっても虫取りに夢中になっていてもいいと思う。
そこまで突き抜けたら、かなり貴重な人材となっているだろう。
これからの時代は何が役に立つか全く未知な時代。
自分が夢中になれるものをどんどん増やして、どんどんマスターしていけばいい。
また、1万時間と聞くと「オエッ」となるかもしれないが、夢中になっていればその時間的苦痛はかなりの分削減されるだろう。
加えて、夢中になっていればいるほど、必要な時間である1万時間が5000時間となり、1000時間となりといった具合に減っていくこともあるだろう。
だからこそ、子ども達には夢中になれる時間・やり込める時間を与えるべきだと思う。
先述したように内容なんてなんだっていい。というか、泥遊びだったり虫取りだったりと、大人からしたらある意味しょうもないことにハマれるのは、幼少期だけなんだから。
その遊びに夢中になっている状態に入ったら、一切邪魔をせぬよう、余計な言葉はかけずにただただ見守る。
「夢中になる」という状態は誰かから与えられるものでなく、自分から掴みにいく状態である。
自分で初めて、自分で終えるのが理想。
逆に言えば、他者から邪魔されたりして止められると、またその状態に持っていくのは難しい。
ただただ見守るのだ。ただただその子を信じて。
では、また次の木曜日に。