ハイブリッド脳みそ

今年はコロナの影響でお給料が減ったので、農家さんのアルバイトに時々お世話になっている。

農家さんの仕事ってのは、まさにロボットに近い。素早く、効率的に、なるたけ数をこなす。

対して、僕の普段の仕事が「子ども達のやりたいことを応援すること」だから、『〇〇しなさい。』と急かすこともなく、何かを始めたら『こうした方がいいよ。』と効率を求めることもなく、ただただ頑張っている姿を見つめ、何かが為されるのを待っている。

 

全く持って正反対なわけだ。

保育では子ども達を信じて、ただただ待つことに重きを置いている。そこでは、複数人に対して「Aくんはどう動いているかな?Bちゃんは何を考えているかな?」と子ども達の動きや感情に気を張っている。

農作業では自分の最高のパフォーマンスを求めて、素早く正確に体を動かしている。その中では自分の手先、足先まで動かしつつ、ある場所(例えば腰)だけに荷重がかからないように力の分散を意識したりに気を張っている。

一方は、他者に対してゆっくりかつ受動的な気の張り方。

もう一方は、自分に対してスピーディーかつ能動的な気の張り方。

中々、ここまで真反対な仕事を同時期に経験することもないんじゃなかろうか?

 

実際、少し期間を空けて農作業に入った時は、これだけ考えていることが違うからか、終業時には頭痛がしていた。

体は前述した通り、なるたけ疲れないようにしていたからが故にそこまで負担がないから、余計に頭痛が際立つ。

 

いつも同じ生活を繰り返したり、自分が心地よいと感じることばかりすることは非常に負担が少なくラクなことであろう。

ただ、やっぱり負担が少ない分、実りがあるかと考えると、得るものは少ないように思う。

だからといって、闇雲に未開拓の分野にチャレンジするのも違うように思う。それは無駄に疲れてしまうだけだ。

未開拓の分野であれど、自分が出来る事・出来ない事を見定め、『全ては難しいけれど、この一部分であれば自分は活きる事が出来る!』と輝ける場所がある仕事がいいんだろうな。

他の部分では自分を発揮出来なくても、その一部分だけでも自分を100%発揮すれば、輝くものを得ることが出来るだろう。

そして、一部分と言いながらもその一部分が繋がって一つの仕事になっているはず。

ゆえに、一部分を極める事で他の部分も芋づる式に要領を得るようにもなってくるだろう。

 

たまには異業種に触れることも大事。

自分の可能性に広がりが見え、異業種を知る事で社会の見え方も変わる。

こうやって、異業種に触れることが出来るチャンスがある僕の周りの環境にも感謝。

 

では、また次の木曜日に。