何かを信じる、己を信じる

この世は「信頼感」が全てだ。

「信頼感」という単語は「信用」だったり、「信じる事」だったり、それに類する言葉に置き換わってもいい。

 

『金が全て』という言葉もある意味”お金”という価値に大きな信頼を置いているからこそ、生じる言葉であろう。

もちろん、お金の価値なんて絶対なものなんかではなくて、そもそも1円という価値は日々上下しているし、もしかしたら国というシステムが終わってしまってお金の価値そのものがなくなってしまったりしたら、1円というものがなくなる可能性だって大いにあり得る。

でも、「そんなことない!」とか逆に「そうなることもあり得るよね。」とどちらかの方向に信頼するからこそ、お金を中心としたシステムは回る。

 

そのお金を介して何かしらの製品を買う時も、その製品の性能や機能であったりを信頼して、信頼の証としてお金を支払って購入するわけだ。

「これだけのお金を支払うのだから、素晴らしいものであるに違いない!」といった具合に。

しかしながら、信頼する度合いはそれぞれの人によって違うわけで、故にお金の価値観もそれぞれで違ってくる。

同じ5000円でも、AさんとBさんでは価値が変わってくる。それは信頼感の違いだ。

その信頼感と製品の機能なりに差異が見られた時、「詐欺だ!裏切られた!」といったような感情が芽生えるのではないだろうか?

 

多分だけど、それはお金を中心に考えすぎているが故に起こる現象じゃないだろうか。

単純に”お金と製品の交換”と考えるから、製品が悪いと誰かのせいにしてしまう。

その前に、5000円という価値は誰が定めたのか?もっともっと突き詰めると1円の価値は誰が定めたのか?アルミニウム1gの価値なのか?

 

前述したように、お金は信頼感を値にしただけだ。

5000円に対する信頼感は、誰の物でもなく、あなた自身のもの。あなた自身の信頼感。

だから、「詐欺だ!裏切られた!」と言ってしまうかもしれないけれど、自分の5000円に対する信頼感の値付けが誤っていただけ。

もしくは、お金を信頼するというそもそものところから間違っていたか。

 

自分が信じているものなのだから、誰のせいにも出来ないはずなのだ。

自分が信じていたものであれば、自分の失敗だと受け入れるはず。

でも、それが出来ないということは自分を信頼するということを置き去りにして、自分以外のものを信頼していたのだろう。

自分を信頼すること。つまるところ、自信があるということ。

自信を持つことが、この世をストレスが少なく生きるコツに繋がると感じる今日この頃。

 

では、また次の木曜日に。