機械は遊べない

AIの時代がやってきている。オートマチックな時代がやってきている。

今あるほとんどの仕事が機械に奪われる時代がやってくるらしい。

この話は今に始まった話ではなく、今現在でも工場ラインなんかはほぼほぼ機械が何かしらを作っているだろう。

でも、今は個人が持っているスマホだけでもかなりのことが出来るようになってきている。

簡単な受け答えが機械ながら出来るし、他言語を翻訳することだって出来る。

ある意味、言葉を介せるようになったら人間社会の一部を担うのは時間の問題。

しかも、早く、正確で、疲れない。

こんな、機械が様々な仕事を取って代わる時代がやって来た時、僕達人間は何をもって機械に対抗すればいいのだろう?

 

人間に出来て、機械に出来ないこと。

「なぜ」、「どのように」と考える事。WhyとHow。

いくら正確に素早く仕事が出来たとしても、「なぜ」その仕事をしなければならないか、機械は理解していない。

ただ製作者がその仕事を素早く正確に出来るようプログラムを組んでいるだけだ。

どんなに素早く仕事が出来たとしても、「どのように」が出来ないから、それ以上に素早く効率の良い仕事を自分で作ることは出来ない。

ただただ、プログラムに沿ったことを淡々とこなすだけだ。

 

ただ言われたことだけをやる人間っていうのは機械と同じ。

「なぜ」の疑問を持たず、「どのように」の工夫をすることなく、ただ言われたことをやる人間。そんな人間は劣化機械だ。

子ども達に考える脳を持ってもらうためにも、「遊び」が必要だと思う。

 

ただ言うことを聴けることが賢い人間じゃない。理解が早いことが賢いわけじゃない。

 「なぜ」で過去を糧に、「どのように」で未来を切り開く。

『今を生きる。』ってのは、僕が大好きなワードではあるけれど、”今”だけで存在する”今”には力がなくて、やっぱり”過去”と”未来”の延長上になくてはならない。

機械の”今”は製作者の”過去(なぜ)”、”どのように(未来)”が乗っかってるだけ。

当たり前だけど、機械自身のものじゃない。時を紡ぐをことは出来ない。

 

そんなトレーニングが「遊び」の中にはある。

自分がやりたいこと、興味があること、楽しいこと、好きなことを中心に遊び込むことで、「なぜ」にぶち当たり、「どのように」で突破していくことがひとりでに動き出す。

先生が偉そうに「〇〇しなさい。△△はしてはいけません。」と指示することは不必要とは言わないけれど、その考えが中心だと機械にプログラミングしているのと変わらない。

自分の頭で考える。それが機械が仕事を奪う時代の突破口だ。

 

では、次の木曜日に。