コミュニケーションから逃れられない
人間は力がとびきり強いわけでもなく、空を飛べたり特別な能力があるわけでもなく、地球上に70億にも増えて、とびきりのスピードで繁栄してきている。
特別な力がなく、なぜここまで繁栄出来たか?
脳みそが大きかったからってのも一つだと思うけど、脳みその大きさは人間(ホモ・サピエンス)以外の原人達も同じぐらいだったらしい。
色々な説があるわけだけど、他の原人達と声帯の構造が違ったことで、色々な音を出すことが出来、それ故に、コミュニケーションを取る能力が高かったから繁栄出来たという説がある。
コミュニケーションが高いと、「あそこに実のなる木があるぞ!」とか、「挟み撃ちして獲物を捕らえよう!」とか、「この泉には神様がいるんだ。」とか、自分の想いを相手に伝えることで、1つだった思想を増やすことで、種全体としての生存率を高めてきた結果が、今の70億人に繋がっている。
ちなみに、「神様」とか、「お金」とか、概念的な存在を”認知する力”もホモ・サピエンス独特の力で、これまでの発展に繋がったのではないかと言われている。
”認知力”がすごかったとしても、それを共有するためにはコミュニケーションが必要なわけで、コミュニケーションは人間にとって必要不可欠。
人間はコミュニケーションの中に生きる生き物であり、集団で生きる生き物であり、僕達は日々様々な人達の想いに包まれて生活している。
その想いに励まされたり、楽しみを見つけたり、色んなきっかけとなっているわけだけど、いいことばっかりじゃないのは百も承知。
人々の悩みの全てはコミュニケーションにあると言われるほど、励まされると同時に悩みの中で僕達は生きている。
だから、ある意味数値化されて目に見えるお金を想いのパラメーターと置き換えて考えしまうのが、楽な部分もあるんだろうなぁ。
とはいっても、全ての想いや言葉を数値化するのは無理な話で、想いを想いで受け取る部分はやっぱり出てくる。
想いを想いで受け取られるのが怖くて、なかなか表現出来ない人もいる。僕もその一人。
今の時代、生の声だけでなく、SNS等で文字で想いを届けられるようになった部分も大きいだろう。
それがまさに僕たちの悩みを産んでいる。
で、その悩みを解決する方法は、想いを届けることしかないと思った。
文字じゃ長文はしんどいし、ニュアンス、表情、言葉の間、色々なものが届かなさすぎる。
やっぱり僕達はコミュニケーションの中で育まれてきた生き物だ。
その中で傷つくこともあるだろう。傷つけることもあるだろう。
でも逆に、そこから気づくこともあるだろう。
コミュニケーションで傷ついた傷は、コミュニケーションで回復できるはず。
そこに勇気を持たなければならない。
続きはまたいつか。
また次の木曜日に。