雨が悪い天気だと、誰が決めた?

外で仕事をしている人は、天気予報に敏感な人が多いのではなかろうか?

僕がやっている野外保育もそう、農業といった第一次産業もそう。

何故かというと、雨が降ることで出来ること出来ないことがバシッと分けられてしまうから。

ウチのケースだと、雨だと外でお弁当は難しいし、それが故に昼に拠点に帰ってこようとなって遠出も難しいし、やっぱり濡れてしまうから着替えも多く必要だったりする。

農業においても、同じで雨の日に畑に入ると土がグネグネになってしまうから、畑には入れなくて、ビニールハウスとかの内作業になる。

逆に晴れの日は、上記したことは全部出来るわけだ。

 

じゃあ雨の日は悪い日なの?

野外保育で見れば、雨だからこその水遊びが生まれたり、農家さんでも雨だからこそ作物が育つのであって、内作業が出来たり、休めるわけだ。

きっと、天気に関しては外で過ごす時間が長ければ長い人ほど、雨の捉え方にプラスの要素を考えられる気もする。

 

天気とか、自分の周りの環境だけじゃないよ。人も一緒。

対する人が、いい人悪い人。

自分が、出来る出来ない。勝ってる負けてる。

そんなものを決めて何の価値がある?

それをカテゴライズすることで、視野が狭まって、より本当の価値が見えなくなるのではなかろうか?

”出来ない”人なのであれば、何がその人を”出来ない”と判断させているのか?

逆にその”出来ない”を活かせる場面が他にはないか?

”出来ない”の粗探しでなく、”出来る”一面を見つける努力をしているか?

 

今世間を賑わせているコロナウイルスもそう。

もちろん、コロナが原因で亡くなった人がいたりで全てをまっ平らに見ることは難しいけれど、コロナがきっかけでオンライン会議みたいなものが盛り上がったりで、間違いなく様々な場面で新たな考えがあちこちで生まれている。

 

この”いい悪い”ってのは、多くは常識ってやつで語られている。

常識ってのは「圧倒的多数が”良い”とすること」。

じゃあ圧倒的少数派は常識外れなの?その常識に従わないと人でなしなの?

 

バイキンマンは悪なのか?

彼はだいたい「〇〇がしたい!」って欲求を真っすぐに実行するがあまり、攻撃的・支配的なアプローチになってしまうことで悪者にされてしまう。

そんな彼に対して、アンパンマンは「やめろ!」とか言うばかりで正しいアプローチを教えることもなく、アンパンチという暴力で成敗する。

 

バイキンマンの「〇〇したい!」と思う力を上手く活かせば、すごい人材になるはず。

アンパンマンの価値観を強制する社会でなく、バイキンマンの価値観とも共生できる社会を作りたい。

 

では、また次の木曜日に。