認めることが対話となる

断続的に外国人のボランティアさんが遊びに来てくれている。

彼はほとんど日本語が喋れなく、ほとんど英語が喋れない僕ともなんとなくでコミュニケーションを取っている。

しかし、そんな彼に子ども達はお構いなしでいつものように日本語で語りかけ、ある子は喃語が混じった日本人でも理解不能な言葉で語りかける。

「だっこしてー!」、「この虫とってー!」、「あっ!鳥の声した!」、「(泥を片手に)おにぎりどうぞー!」などなど。

それに対して彼は、「ワカリマセン。」、「ムズカシイデスネ。」、「That's so fast !!」なんて言っている。

でも、そんな彼に対して子ども達はコミュニケーションを取り続けし、彼もなんとなくで対応し、その中でコミュニケーションが成り立っている。

たまにこれでやり取りが出来るって奇跡じゃないか!?なんて思ったりもする(笑)

何故か?一番は彼がとても勉強熱心な人で、いつも手帳を片手に子ども達の名前をメモしたり、子ども達の中で頻出する単語をメモしては、僕に聞いてきたりと、日本語を学ぼうという意欲がとてもあること。

大人視点であれば「すごいなぁ。熱心だなぁ。」とはなるが、子ども達からするときっと違う。

 

彼は子ども達の話にひたすら頷いているのだ。

きっと早口で難解な子ども達の会話にひたすら耳を傾け、意味がわからなくても頷いている。

それにつられるように子ども達は言葉を発し続けている。

これはある意味心理で、大人でも「女性との会話はただ頷いていればいい。」と通ずるところがある。

「目は口ほどに物をいう。」なんて言葉もあったりで、言葉なんてそこまで重要なものではないのかもしれない。

 

許容すること、承認すること、信頼すること。相手に「ありのままでいいんですよ。」と伝えることが相手を輝かせることに繋がるということに、言語を介さないコミュニケーションを見る事で確信を持てた。

逆に言えば、難しいことなんて何一つない。ただただ相手を否定せず、認めるのだ。

別に対外国人だからどうのこうではなく、1人の人間として、ありのままを受け止める。

 

では、また次の木曜日に。