心の火を灯し続ける

前回の記事で”自己中心”に触れたけど、全ての人が自分の意志を持って生きているわけで、ここの線引きはめちゃくちゃ難しいです。

これまでにも、「やりたい!」って想いを育てないと指示待ち人間の劣化版ロボットになってしまうとか書いたけど、その「やりたい!」も加減次第では自己中心マンになってしまう恐れがある。

そうなると、面倒くさくなって、「もう誰かの指示に従ってればいいや…」ってなってしまう。

周りに「それはアプローチの方法が悪いよ。」って言ってくれる仲間がいれば、また変わってくるんだけどね。

 

僕もこうやって理屈こきだから、すぐ正論にいきたがる性分がある。

でも、感情のない正論を、感情のある人間にぶつけると、その人を無理やり動かすことに繋がってしまって、その関係に信頼関係がないと悪い方に転がることが多い。

じゃあ、自分の中に湧き出た想いは潰してしまうべきなのか?諦めてしまったほうがいいのか?

やっぱり僕は違うと思う。

 

確かに、自分の想いをストレートに吐露すると何かしらの障害が生まれてしまうことは本当に多い。バイキンマンの苦悩だ。

だからといって、自分の想いを表現できる場所はこの地球上に存在しないのか?きっと、そんなこともない。

じゃあ、その場に行けばいい。

きっとそんな場にはたくさんの人がそれぞれの夢・野望といった壮大な想いを抱いていて、突き放すのでなく関心を持って聞いてくれるだろう。

 

僕は野外体験に関わる研修に行く機会が多くて、そんな場ではよくそんな夢を持った人達と出会う。

そして、その研修の懇親会で、「実はこんなことを考えているんです!」みたいな話を聴きあって、「あーでもない、こーでもない。」とお互いのストレートな想いをぶつけ合う。

こんな場だと、ストレートな想いを吐露することは、場を良い方向に転がすことが多い。

 

結局のところ、TPOなのかもしれないね。向き不向きの場所がある。

ただ自分の想いをぶちまけていい方向に転がった経験をしていなかったり、身近にそんな場所がないことで、「自分は自己中心なやつだ…」と悪くとらえて、閉じこもりに繋がっていくのかもしれない。

僕達の周りの環境は油まみれで、ちょっとした火種でも炎上して火事になってしまうけれど、たき火のようにパチパチと程よく燃えてくれる場所がきっとどこかにあるはず。

 

だから、そんな場所を探してその場で想いを述べよう。

とはいっても、今は人と人が出会えない環境でもあるから、その想いを熱意を信念を大事にして、心の中にしまっておこう。

身近な人が共感してくれないから、聞いてくれないから、捨ててしまう必要なんてない。

あなたの想いが社会を変えるきっかけになるかもしれない。

心の火を灯し続けよう。

 

では、また次の木曜日に。