利己的な人などいない
生き物は自分という個体が幸せであればいいという、生き方をしているものが多い気がする。
でも、知能が発達した生き物であるほど、自らの命だけでなく、我が子を守ろうとし、家族を守ろうとし、グループを守ろうとし、同種を守ろうとし、他種を守ろうとするものも出てくる。
人間もまさにそれで、コミュニケーションを核とする生き物だからこそ、他の命を守ったり、楽しませたりする傾向があるように思う。
だから、「自分だけが良ければいい」という考え方にはそもそも無理がある。
まさに、金八先生の『”人”という字は~…』ってやつね。
誰かを蹴落とし、自分だけがのし上がる。そんな競争社会があるらしい。
本当に自分だけなのかなぁ?利益を被っているのは自分だけだろうか?
人間社会に属する限り、絶対に誰かと誰かが何かしらの形で繋がっている。
独りぼっちな人は誰一人としてはいない。
そもそも、「社会」という言葉は、「人間が集まって生活を営む集団」を意味する。
孤高を気取っているかもしれないが、あなたは独りではない。
例えば、誰か(Aさん)を蹴落として、ビジネスを成功させ、対価を得、成り上がったとしよう。
今身近に見えているAさんを蹴落としたことで、自分は誰にも関わっていないと思い込んでいるかもしれないが、何かが成功したということは、その裏側で喜んでいる人がいるからこそ、成功したわけだ。あなた一人の成功ではない。
Aさんが辛い思いをした代わりに、誰か笑っている人がいる。いつの間にか、誰かを掬っているわけだ。
人間社会において、多くの人がこれを無意識の内に日々日々繰り返して、誰かを喜ばせている。
これを意識的にすることが、「利他的である」ということだと思う。
誰かを蹴落としたとして、無意識の内に誰かを喜ばせるのと、意識的に誰かを喜ばせるのは、どちらが良いだろう?
また、誰かを蹴落とすことなくそれが出来たら、どちらがいいだろう?
きっと考えるまでもない。
僕達はみんなどこかしらで繋がっていて、どこかしらで影響し合っている。
もちろん、自分の目で見える範囲はとても限られたもので、もしかしたら同じ想いを抱きすぎて、影響を感じ合えるような存在ではないかもしれない。
でも、見える範囲を越えた先にいる人はどうだろう?本当に何の関係・影響もないだろうか?
そこまでの人達に思いを馳せれば、「なぜこんなことしなければならないんだ…」と日々日々感じている行動に輝きを持ち始めるかもしれない。
僕達は繋がり、影響し合っている。独りぼっちの人はいない。
では、また次の木曜日に。