自立と自律
子どもの教育に関わる仕事をしていると、
「子ども達の”じりつ”を促すために…」みたいなフレーズがよく出てくる。
恐らく大半の人は”自立”をイメージしていると思うのだけど、僕は”自律”もあると思っていて、似通った2つの”じりつ”がそこには混在していると思っている。
自らが立つと書いて、”自立”。
自らを律すると書いて、”自律”。
以下、僕の中の”じりつ”。
自立=誰かの助けなしに、自分で判断し、実行することが出来る。
自律=自分自身の規範を持ち、自分のコンディションを整えることが出来る。
言い方を変えれば、”自立”ってのはやりたい出来ることだけをやりゃあ、ある意味”自立”と言える。
”自律”はそこに、「やりたいこと、出来ることだけやってていいのか?」という自らに問いかける場面が加わる。
「何をすべきか。何をすべきでないか。」
その問いを解する上で、自分の規範があって、その規範を照らし合わせて自分を律するのが”自律”だ。
遥かに”自律”の方が”自立”よりも難易度が高い。
しかしながら、よくよく考えると”自律”が司令塔となって”自立”を促しているのではないか?
”自律”なき”自立”は自己中心ととても似通っているように思う。ただただ、自分のやりたいことをいい悪い律することなくやっているだけなのだから。
”自立”は自分の中で自己完結できるかもしれないが、”自律”は自分の置かれた環境によって変わり得るもので、臨機応変に考える力が必要。
TPOで語られることかもしれないし、例えばコロナ禍というのも一つの”自律”を見直す場となり得るだろう。
周りの環境あってこその”自律”。人は独りで生きていけないってことでしょうな。面白い。
だから、”自立”することも大切なことであるのは間違いないが、まず子どもに促すべきなのは”自立”でなく”自律”ではないかと思う。
先にも述べたように、”自律”は周りの影響があってこその力なので、強いるのでなくあくまで促す。
もちろん、”自立”を促す傍らで”自律”も育っていくので、”自立”を促しながら”自律”を育てるのももちろんアリ。
手放しで”自立”という言葉を使うのは違うよなぁというところ。
「自分という人間はこうありたい。」、「自分はこうするとこんな感情になる。」などなど。自分自身がどんな人間であるかを理解していないと真の”自立”には近づけない。
今回の内容は難しい。上手く言葉にできない(笑)
では、また次の木曜日に。