変わる自然、変わらぬ不自然

ホモ・サピエンスが誕生したのは、今から20万年前。

詰まる所、原人が今の人間となったのは、20万年前のこと。

そんな人間が、今のような近代的な生活のきっかけを産んだ「産業革命」が200年前。

サルの時代も含めると何百万年も原始の生活を続けてきた人間が、今のような無機的で四六時中同じような環境の中に身を置いて生活するようになったのは、たった200年である。

 

20万年に対して、200年はたった0.001%。この0.001%に僕たちは人間的生活が詰め込まれていると信じて疑わない。

何が言いたいかっていうと、20万年という時間のプールに0.001%の墨汁を垂らしたところで、99.999%の水は真っ黒に染まらないでしょ?っていうこと。

コンクリートに囲まれる生活よりも、草木に囲まれる生活の方が圧倒的に長いわけだ。

 

だからこそ、山や海に行ったり目にしたりすると気持ちが落ち着いたり、動物・植物に触れると癒されたりする。

一時、アイボとか流行ったけど、電動の犬には限界があるわけだ。

 

命あるもの(有機物)には、命なきもの(無機物)と比べて、「変わる」という力を持っている。言い方を変えれば「代謝する」なのかもしれないけど。

人間一人を見ても、髪や爪は伸びるし、幼少期であれば日に日に体重は重くなり、身長は伸びる。

目に見えない部分でも細胞レベルでいえば、常々入れ替わっていて、1週間も経てば体中の細胞は全部入れ替わるらしい。

 

外の環境も変わる。

日本には恵まれたことに「四季」があって、変化を顕著に感じることが出来る。

暖かくなって、寒くなってを毎年毎年繰り返している。

1年という大きな時間でなくても、今この時も雨が降ったり、お日様が出てきたり、風が吹いたり、刻々と変わっていく。

だからこそ、地球は生きているなんて言い方もされるわけだ。

 

これが無機物には出来ない。

ロボットでいえば、パーツを変えたり、内蔵されているプログラムを書き換えない限り変わらない。

石が川から海へ転がって流れる過程で角が取れて丸みを帯びることを変わると表現すると、また話は変わってくるけど…

 

有機物は己の内に秘めたエネルギーで自分を変えられる。

無機物は己の外の力を頼って自分を変える。

 

で、前述したことに戻ると、人間は99.999%の時間を自分の意志に関わらず変わってしまう環境で生きてきた。

しかし今は、自分の力で気温・湿度・風向き・光量などをコントロール出来る0.001%の時間を謳歌している。

どう考えても、現代に生きる人間の方が適応力・忍耐力・創造力などが欠如するのは目に見えている。

 

自然の大いなる力に抗ってきたのが人類史であることを否定するわけではない。

でも、自然の大いなる力を否定するのは話が違う。

今だって、自然の力を切り離して考えることは出来ないんだから。

地震大国である日本で生きるのであれば、なおさら。

 

四季があって、地震があって、海に囲まれていると思えば、国土のほとんどが山という日本で生きるの僕達は、もっと自然を感じる必要があるように思う。

 

では、次の木曜日に。